山登りしたい?
登りたい山なんてなくたっていいんじゃないかな?
お盆になると実家に親戚がたくさん集まる。
そこで、「仕事、どうなんだ?」って聞かれる。
「方法なんていくら変わったっていいけど、60才になったときにどうなっていたいかは考えとけよ。」
そんなことも言ってもらえる。
そうやって聞いてもらえること自体は、とっても嬉しいし、ありがたい。
おれは、自動車のレースをやっていた。
9才〜20才までは、レースレースレースレースレースだった。
そのときの自分は、60才まではイメージしていなかったけど、
登りたい山は、「レースの山」だっただろう。しかも頂点を目指していた。
そんな経験があるからこそ、知っている。
「登りたい山があることは幸せ」
「山に登ることは辛いこともあるけど登ればいいんだから、ある意味ラク」
でも、これは、
「登りたい山がないと不幸せ」という意味ではない。
「登りたい山がなくても、幸せにはなれる」
これは、真実だと思う。
おれ自身、「山に登る」ことは、好きだ。
登らない人生よりも、登る人生を選びたいと思っている。
でも、同時に、山なんて登らなくたっていいだよ!ってことを、しっかりと伝えていきたいとも思っている。
大事なことは、幸せかどうかだ。
まずは、あなたが幸せであることが大事で、あなたの幸せが誰かの幸せに繋がっていたらより良いよねって思う。
全ての人の目の前に、登りたい山があるのかと言ったら、答えはNoだ。
もし、自分の登りたい山を見つけたいのならば、
目の前に現れた山らしきもの、丘のようなものを一所懸命に登ること、その連続なんじゃないかな?
一所懸命に生き続けることの先に、山があるかもしれないんじゃないかな?
自分で自分の山をこれだ!と決めつけてやってみるのもいいと思う。
決めつけたんならとことんやってみたらいい。
あるいは、自分では決めつけず、流れに身をまかせて、目の前に現れたものをとことんやってみるのもいいと思う。
大事なことは、
どんなチョイスをしたとしても、それが自分の決めつけだろうと、流れのなりゆきだろうと、
チョイスした時点で、それは、「あなたの選択」であるという自覚を持つこと。
全ての選択は、あなたがしている!ということ。
選択できるカードの枚数は人によって違うと思う。
でも、少なくとも、「やる」か「やらない」か、という2枚のカードは全ての人がもっている。
今、目の前にある、やらなければいけないタスクは、誰かに押し付けられたものではない。
自分が選んできたから、目の前にあるのだ!
ということで、お昼休みはここまでにして、
目の前にある膨大なタスクをこなそうと思います。笑
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